『趣味は人間観察です』←厨二病ぼっちの言い訳。

僕は仕事やプライベートを1人で過ごす事が多いが、ずっと1人で居ると気が滅入る事もあるので親しい友人や恋人、家族と月に1度は過ごすようにしている。

 

とは言えやはり1人で過ごす時間が多い僕なのですが、先日ふと『人間観察って言葉があって良かったな。』と思う出来事がありました。  

人間観察とは

人間観察とは大抵他人の外見、しぐさ、会話のやりとりを観察することです。僕の中での定義ですが、人間観察って基本的には『自分にとって有益なナニカを得る』ためにするもんだと思っています。

 

『物書きがアイデアに煮詰まって新しい着眼点が欲しい時』『芸人が自分の芸の肥やしにする為』、『ビジネスマンがマーケティングに利用する為』など、色々な状況で人間観察が行われています。

 

たまに人と話しをしていると『趣味は人間観察です』って言う人がいます。知人の中にも真剣に言ってる人がいてちょっと怖いなぁ、なんて思ってたんだけれど彼らの人間観察にはなんの生産性もなかったのです。

人間観察じゃなくて人間批判

『その人間観察って具体的になにをしているの?』って聞いてみるとそれっぽい事は言い返してきますけど大抵こんなんでした(下に行くほど重度な症状だと思って下さい)↓

  • 1人でご飯を食べている人をみて『1人でさみしくないのかこの人
  •  酔っ払いを見て『絶対にこんな大人になりたくねー
  •  小綺麗な格好をしているイケメン、美人に『絶対性格悪い、馬鹿丸出し
  •  地味な子をみて、『絶対あんな地味なのと付き合えないわ』
  •  カップルの会話を聞いて『うわ、なんだこのバカども…ツイート決定w
  •  大勢の人間を見て『ゴミどもめ、駆逐してやる

人間観察じゃなくて人間批判なんですよね。批判ありきで人間観察してる人が多いの。まず否定する所から物事を考える人って僕はどう話したらいいのかわからなくなるので苦手です。

 

しかも人間観察という言葉を借りてTwitter上で面白おかしく批判を始める。『となりのカップルが○○なんだけど、殴っていい?』とか『酔っぱらいが○○でまじウザい』とかね。

 

苛立つ気持ちもわかるんだけど、コソコソ文句言わないでほしいのよね。殴っていい?って聞かれても『まぁ殴ったら警察沙汰になっちゃうしダメだと思うよ』っていうもん

 

まぁTwitterに書くことなんて半分冗談だろうし『マジになんなよ』ってたしなめられて終わりなのかもしれないけど、ただの世間への恨みや他人の批判を人間観察と称して言うのは健康じゃないよね。

1人でいる寂しさを人間観察という言葉で和らげる  

僕も一応人間なので1人でいると『寂しい』と思う時があります。だから1人でいる人の気持ちがよく分かります。ぼっちとは言え誰かと一緒にいたい時間ってのは誰にでも確実に存在します。

 

本当は人と交わりたいんだけど交われない。でも『あいつはいつも1人で寂しいやつ』って思われるのもなんだか癪なので、『人間観察してる』という言葉で返してくる。

 

他者より優位に立ち、なおかつ自尊心を傷つけない、それが【人間観察】という言葉なのかもしれないですね。

 

そもそも『趣味は人間観察』 ってのは人が好きじゃないと出てこない言葉だよね?

 

だって嫌いなものを観察対象にする人なんていないでしょ?いたとしてもよっぽどの物好きか絶滅させるために観察しているかのどちらか。まぁそこは深くは突っ込まないでおくけど、人を観察する人ってのは根本的に人そのものが好きなはずだと思うのよね。

 

表面上ではトゲのある言葉を使っているけど、人間批判している人の脳内も実際は

  • 1人でご飯を食べている人をみて『僕も1人だよ、その寂しさすごいわかる
  •  酔っ払いを見て『こんなになるまで呑むなんてなにか嫌なことがあったのかな?
  •  小綺麗な格好をしているイケメン、美人に『あんな人と付き合えたら夢のようだわー
  •  地味な子をみて、『ちょっとおとなしそうだけど、性格良いんだろうな
  •  カップルの会話を聞いて『うふふ、ちょっとお馬鹿だけどなんだか幸せそうw
  •  沢山の人を見て『わぁ、なんて賑やかなのかしら

なんて思ってるかもしれませんね。

 

そう考えると『趣味は人間観察さ…フッ』なんて言ってる人が愛くるしくみえてきました笑

これからはそういう方には新手のツンデレとして接しようと思います